宮沢りえの拒食症の原因について

宮沢りえさんが

激やせで話題になったのは

1993年ごろのことでした。

 

この前年11月に宮沢りえさんは

当時交際していた

貴花田関(現・貴乃花親方)と

婚約を発表しました。

しかし年が明けてこの婚約は破棄されました。

 

世間一般では、

この婚約破棄がきっかけで、

宮沢りえさんは

拒食症になってしまったといわれています。

 

しかし、

もう一つの大きな理由と言われているのが、

母親との関係です。

 

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宮沢りえがなぜ激やせしたのか?

 

りえママというと、

当時はかなり有名で、

いわゆるステージママの先駆けのような人物です。

 

宮沢りえ 拒食症 原因

http://www.oricon.co.jp/news/48742/full/より引用

 

宮沢りえさんが11歳で

モデルデビューするきっかけを作り、

芸能界で活躍する彼女をマネージメント、

プロデュースしてきた

ビジネスパートナーでもありました。

 

りえママこと宮沢光子さんと

宮沢りえさんは、

母子家庭でしかも

職場も一緒という非常に密な関係でした。

 

普通の親子より距離は近く、

しかしビジネスという側面をもった関係では

遠く感じる関係性だったと推測されます。

 

たとえば、

宮沢りえさんは、

1991年に写真集を出版しましたが、

それをマネージメントしたのは光子さんでした。

 

「自分の娘の裸を撮らせるなんて」

と当時は批判もありました。

 

しかし、

このとき光子さんは宮沢りえさんを

娘」ではなく「宮沢りえ」という

モデル・女優として考えていたのかもしれません。

 

母子である前に

ビジネスパートナーである、

という関係は普通の親子に対してかなり特殊です。

 

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デビューしたのが11歳、

写真が撮られたのが17歳(出版されたのは18歳)と、

人格形成に影響を及ぼす時期です。

 

そして婚約破棄をしたのは20歳

もう充分一人で物事を決断できる年齢です。

 

しかし婚約破棄会見を終えた宮沢りえさんは、

光子さんに電話をかけて

「あれでよかった?」と尋ねたと言われています。

 

ひょっとしたら、

宮沢りえさんの拒食症の根の深いところには、

光子さんに対する

何らかのコンプレックスがあったのかもしれません。

 

婚約破棄後、

宮沢りえさんはアメリカへ、

光子さんはパリへと移住したそうです。

 

その後、

光子さんが表に出てくることは

ほとんどなくなりました。

 

そうやって、距離を取ることで、

母子関係を見直せたのかもしれません。

 

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